kundimanKundimanは「Love Songs Of The Philippines」と呼ばれ、Harana同様スペイン統治時代から歌い継がれてきたラブソングです。
スムーズでスローなテンポ・メロディに恋の詩を乗せて歌われた音楽で、その起源は一説にはルソン島中部のBatangas(バタンガス)であったと言われています。
同じラブソングとして一時代を風靡した両者ですが、Kundimanは、報われない恋心を切々と歌詞に込めた哀愁漂うメロディが特徴で、男女の区別はありませんでした。また、Kundimanが演奏される(歌われる)場所として、個人的なシチュエーションというよりも、ピアノや弦楽器を備えた屋内や広場などで不特定多数の聴衆の前で披露されていました。
20世紀に入るとアメリカの植民地下、ジャズやブルースなどさまざまな音楽のエッセンスを取り込みながらKundimanはフィリピン大衆の日常の音楽として発展していきます。
Haranaはその歌詞にもその特徴を見出すことができます。不特定多数の聴衆の前よりも、個人的に想いを寄せる相手にその想いを歌いかけるHaranaは「Dungawin mo hirang(look out the window, my beloved)」、「Natutulog ka na ba, sinta (are you sleeping, my lover)」など対象になる女性に向かって呼びかけるようなフレーズが歌の出だしに用いられることがしばしばあります。
これに対しKundimanは男女どちらもに共通する異性への想いが題材となっていることに加え、男女間の恋心だけでなく祖国や自然を愛する気持ちも歌詞に込められた作品が数多く存在しています。
そして当時のHaranaはフィリピノ語でももっとも古く純粋な単語が用いられていたようです。それは今では日常のではほとんど使われなくなったもので、音楽的にはスペインの影響を受けたものだったにもかかわらず、歌詞にはスペイン語の単語やその影響を多分に受けている言葉が使われることは稀なようです。
■ Ruben Tagalog – The King of Kundiman – Ruben TagalogKing of Kundimanと呼ばれたRuben Tagalogはそのファミリーネームから受けるイメージとは違い、ビサヤ地方はパナイ島の州都Iloiloで1922年に生まれています。幼いころから地元の波止場などで友人と共に歌っていた彼ですが、1937年、二人の姉妹と共にマニラへ。3人はカローリングというスタイルで家から家へと歌い歩いているうちに、当時舞台俳優としてショービズ界活躍していたLou Salvadorに見出され、「the Wanderers Trio」というグループとしてthe Plaza Theaterなどの劇場やラジオ番組に出演するようになります。 Clover Theater
Rubenはソロに転向後、いっそうその才能が開花し、「Harana Ni Ruben」という自身のラジオ番組(1940年代)を持つに至り、更には当時(1950年代)のトップエンターテイナーがステージに立っていた「The Clover Theater」に出演します。
その情感の込もったバリトンヴォイスは大人気となり、1955年から1970年代にかけてKundimanレーベル「Villar records」に12枚のアルバムをレコーディング、当時の人気女性シンガーであったConchng Rosal, Sylvia la Torre, Carmen Camacho そしてCely Bautistaらとのデュエットレコーディングも残しています。
Rubenは80年代にFreddie AguilarによってリバイバルヒットするKundimanソングBayan Koを始めてレコーディングしたことで知られているほか、ビサヤ地方のクリスマスソング「Kasadya Ning Taknaa」のタガログ語バージョン「Ang Pasko Ay Sumapit」をレコーディング、
また同じビサヤ出身の女性シンガーNora Hermosaと共にビサヤ地方のKundimanソングをレコーディングしたアルバムもリリースしています。
そして1950年代後半には現在も現役で活動しているボーカルグループ「Mabuhay Singers」のオリジナルメンバーとしても活躍しました。
■ Sylvia La Torre – The Queen of Kundiman – Sylvia La Torre
クイーンオブクンディマン(The Queen of Kundiman / Renya ng Kundiman)と呼ばれた女性シンガーSylvia La Torreは1933年、女性ソプラノシンガーLeonora Reyesと映画監督Olive La Torreとの間に生まれました。
Sylviaはテレビ・ラジオで活躍する女性タレントの第一人者として、また、元祖ポップディーヴァ、元祖ジュークボックスクイーンなどとして、約30年間フィリピンショービズ界に君臨、美しいソプラノボイスを持つシンガーとしてはもちろん、テレビやラジオではおせっかいな姑役などコミカルなキャラクターもこなし、観客を魅了しました。
Life Theatre 1941年頃彼女は1938年にマニラで開催されたアマチュアコンテストからそのキャリアをスタートさせます。
第二次大戦中は、当時最も人気のあった劇場の一つ「Life Theater」に出演、 Manila Grand Opera House
終戦後の1948年にはジャズシンガーのKaty de la Cruzや、ダンサーとして人気を博していたBayani Casimiroら当時のビッグスターと共に、「Manila Grand Opera House」に出演します。
Sylviaは終戦後サント・トーマス大学(University of Santo Tomas) で音楽を学んだ後、1950年にBataan RecordsからデビューシングルSi Petite Mon Amourをレコーディングします。その後Villar Recordsに移籍、そこでSylviaは約400曲をレコーディング、Kundimanからノヴェルティソングまで多彩なジャンルをこなしていました。
それらは”今ではポップソングと呼ばれているジャンルの音楽(Sylviaのコメントより)”として親しまれていました。
Sylviaはまた、父親がSampaguita Picturesの専属映画監督だったこともあり、早くから映画に出演、1941年の初出演作Ang maestraから2001年のGMAテレビのドラマBiglang sibol, bayang impasibolまで計17本に出演しています。
Sylviaは父の元、Sampaguita Picturesで数本の映画に出演しますが、主役を演じることは無く、彼女が主役として活躍するのは1950年代にLVN Picturesに移籍してからのことです。
代表作としては Puro utos, puro utos (1959)、 Yantok mindoro (1960) 、 Oh sendang (1961) (いずれもLVN Picturesの作品)があります。 Anna Maria Perez De Tagle
Sylviaは現在夫と共にロサンゼルスに在住しており、現在アメリカで活躍している女優・モデルのAnna Maria Perez de Tagle(アンナ・マリア・ペレス・デ・タグレ)はSylviaの孫にあたります。
■ Conching Rosal Conching RosalConching Rosalは1926年生まれ、6歳の頃には教会でソロで歌い始めます。マニラのサント・トーマス大学(University of Santo Tomas)ではSylvia La Torreと同級生、Sylviaと一緒に声楽を学びますが、彼女は卒業後もクラシックの声楽のレッスンを受け、ソプラノシンガーとしても頭角を現しました。現在ではSylviaと並びKundimanを代表する女性シンガーの一人として知られています。
■ Cely Bautista Cely BautistaCely Bautistaは1939年生まれ、7歳の時にはステージに立って歌を披露するようになります。15歳のときに後に彼女の夫となる俳優Eddie San Joseが司会をしていたラジオ番組で紹介されレギュラー出演するようになります。その後Ruben Tagalogの番組「Harana」にも出演します。
Celyは1950年代から1970年代までに当時の花形レコードレーベルVillar recordsの専属シンガーとして12枚のアルバムをリリース、Dahil Sa Iyo, Maalaala Mo Kayaなどのヒット曲があるほか、ボーカルグループMabuhay Singersのメンバーとしても活躍しています。
彼女はSylvia La Torreと共にRenya ng Kundiman(Queen Of Kundiman)と呼ばれています。
■ Ric Manrique, Jr. Ric Manrique, Jr.Ric Manrique, Jr.は1941年生まれと、他のKundimanシンガーと比べて少し若いですが、1958年に結成されたMabuhay SingersのオリジナルメンバーとしてRuben Tagalogらと名を連ねています。彼はRubenと共にHari Ng Kundiman (King Of Kundiman)の一人として知られています。
Ricは1960年代に入るとソロとして活動、映画の主題歌を歌って人気を博します。その代表曲のひとつにAng Daigdig Ko’y Ikaw (Pilita Corralesとのデュエット、Fernando Poe, Jr. と Susan Rocesが主演の同名映画のテーマソングです)があります。
■ Carmen Soriano Carmen SorianoCarmen Sorianoは1960年代から1970年代にかけて活躍したシンガーで、女優としてショービズ界にデビュー、シンガーとしては、初期のころはKundimanを歌っていましたが次第にポピュラーソングも歌うようになりました。
Carmenはその美貌からマルコス元大統領とのロマンスが噂され、当時のゴシップ記事を賑わしたことでも知られています。
画像は1957年、Miss Manilaに輝いたときのものです。
Kundiman全盛期のレコードレーベル「Villar records」 Villar records
Villar recordsは1950年にManuel P. Villar Sr.氏によって設立されたレコードレーベルで、Kundimanだけでなくフォークミュージック、ビサヤ地方でスペイン統治時代に盛んだったBalitawと呼ばれる大衆音楽や、各地のラブソング・バラードソングなど様々なジャンルのフィリピンミュージックをレコーディングしています。また、フィリピンの国歌「Lupang Hinirang」を最初にレコードに吹き込んだレーベルとしても知られています。
Villar recordsはRuben Tagalog, Sylvia La Torre, Mabuhay Singers, Cely BautistaらKundimanを代表するシンガーばかりでなく、Bobby GonzalesやPilita Corrales, Nora Aunorなどポップ色の強いシンガーから、後にフィリピンのミュージックシーンに登場するSampaguitaやManila soundを代表するバンドHotdog、80年代に一世を風靡するシンガーRico J Punoら70~80年代のフィリピンポップスを聴く上で欠かせない重要なアーティストが多く所属したレーベルでもありました。
創設者のVillar氏が初代の代表者を努めたフィリピンの横断的音楽出版団体「PRIA(the Record Industry Association of the Philippines)」は、現在も「PARI」(Philippine Association of the Record Industry)と呼称を変更して組織運営されています。