フィリピンポピュラーミュージックの変遷3:ピノイロックの台頭とマルコス時代1960~1970年代

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随時修正・加筆していきます。

エレクトリック楽器の普及により1950年代からヴェンチャーズやシャドウズらインストゥルメンタルバンドが人気となり、ロックンロールバンドも世界中の国々で産声を上げた1950年代、続く1960年代にはイギリスから世界に羽ばたいたビートルズやローリングストーンズに代表される「ブリティッシュインヴェイジョン(British Invasion)」と呼ばれるムーブメントが起こり、それらに影響されたフィリピンの若者達も自分達の音楽・表現を模索するようになります。
加えてエンターテインメント系のアーティストによるポップス、ディスコサウンドも円熟の時期を迎えました。

そして1965年に大統領に就任したFerdinand Marcos、20年に及ぶ在任中、殺人や暴力・国家資産の収奪と流用、1970年代に入ってからは戒厳令を施行するなど独裁体制を敷いた彼の政策は批判される部分が多く、暗い部分ばかりが採り上げられますが、Marcosが残したのは負の遺産しかなかったのでしょうか?
「Marcos=悪者」というステレオタイプで勧善懲悪な視点をはずすことで見えてくるフィリピン像、それがフィリピンのポピュラーミュージックにどのように影響を及ぼしたのか・この頃のフィリピンのミュージシャンが当時の国内事情や政治体制に対する思いをどのような形で発露させていったのか・・・ということなどを探ってみたいと思います。

※このページではマルコス政権時代に行われた文化政策とそれが後のエンターテインメントシーンに与えた影響を探ってみたいと思っていますが、それら一連の政策が結果的に現在のフィリピンの庶民文化を豊かなものにしたということを明らかにする一方、決してそのことでマルコス大統領とその政権が犯した暴力・殺人・汚職などの事実を美化・矮小化するものではないことを最初にお断りしておきます。
このページはフィリピンの音楽・エンターテインメントの変遷をご紹介するためにアップするものであり、フィリピンの政治体制やイデオロギーについて必要以上に掘り下げ、検討・精査する目的ではありません。それらの事柄についてはインターネット上、または各種学術書などをご参照いただきますようお願いいたします。