フィリピンポピュラーミュージックの変遷5:21世紀のフィリピンミュージック(2000年〜現代)

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\この記事は現在製作途中です\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
随時修正・加筆していきます。

21世紀のフィリピンポップスについてはコラム形式でランダムに話題をアップしていきます。
新旧の話題をその都度アップしますが、コラムは時系列に沿って配置をします。

最終更新:2017年10月22日

■フィリピンならではの流行に新しい発見あり
フィリピンでは日本以上にアメリカンポップスがポピュラーであり、大ヒットして多くの市民に記憶される曲もありますが、中には日本ではあまりヒットせずそれほど多くの人に知られていない曲がフィリピンでは非常に人気があったり、逆に日本でも大ヒットになっているのにあまり知られていない曲があったりと、お国柄や国民性を表している一面があり興味をそそられます。

日本でそれほどのヒットになっていない曲でフィリピンでは非常にポピュラーでほとんどのフィリピン人が知っている曲の一つがこれ
レイ・パーカー・ジュニア(Ray Parker Jr.) / The Past
日本では映画ゴーストバスターズのテーマソングが大ヒットして知られているレイ、ディスコ・ソウルミュージックファンの間では初期の「ウーマン・ニーズ・ラブ(Woman Needs Love)」が有名ですがこの曲はレイが1987年にリリースしたアルバム「アフター・ダーク(After Dark)」に収録されているバラードでレイお得意のポップなミディアム・スローのラブソング。ポップ・ソウル色が強くAOR的な雰囲気もある曲ですが、アメリカでも中ヒット程度、日本ではアルバム自体のセールスが思わしくなかったため知っている人も少ない1曲でした(このアルバムに収録されているオーバー・ユー(Over You)はナタリー・コール(Natalie Cole)とのデュエットで輸入タバコのCMソングになったことから日本で一番ポピュラーな曲となっています)

いかにもレイ・パーカー・ジュニアらしいポップソウルバラードですが、これを2004年に当時アメリカで行われた国際新人歌手コンペティションで優勝し鳴り物入りでデビューしたジェッド・マデラ(Jed Madela)がセカンドアルバムでカバー。ポップで覚えやすいメロディと甘く切ない歌詞がフィリピンの若者を中心に大ブレイク。リリース当時は一日フィリピンに滞在すればどこかで一回は必ず耳にすると言っても過言ではないほどで、今でもラジオやいい雰囲気のレストランのBGMとして盛んに流れています。
オリジナルにほぼ忠実にリメイクしたジェッド・マデラのバージョンです。

オリジナルバージョンがリリースされた1987年にこの曲がどのくらいフィリピンでヒットしたかわかりませんが、今ではフィリピン人のほとんどが知っている大定番、もし1987年にあまりヒットしなかったのならジェッドのオリジナル曲と思っている人も多いのでは・・・

フィリピンと日本、同じようにアメリカンエンターテインメントの影響を受けながらもちょっとした趣味・志向の違いで日本で知ることのなかった思わぬ名曲に出会うことも・・・

ジェッド・マデラのThe Pastを収録しているオリジナルアルバムはこちら・・・
Jed Madela / Songs Rediscovered (Repackaged) 2CD

■インターネットの登場で世界を股にかけ活躍するフィリピン人アーティストたち
シャリース(チャリース・ペンペンコ)(Charice Penpengco)は現在ジェイク・ザイラス(Jake Zyrus)と言うステージネームで活躍しているフィリピン人シンガー。
彼女は今最も海外で知られているフィリピン人でしょう。

2007年、15歳の時に彼女のファンがYoutubeにアップしたライブパフォーマンスのビデオがきっかけで韓国の歌番組「Star King」に招待されてK-popのトップシンガーと共演、その実力を韓国の音楽ファンに見せつけただけでなく、その模様がYoutubeにアップされると今度はアメリカのテレビコメンテーター エレン・デジェネレスの目に止まり彼女の冠番組「エレン・デジェネレス・ショー」に招かれることになりました。
ビザの申請から航空券、宿泊の手配まで全てエレンの番組が用意。番組の収録ではホイットニー・ヒューストンのI Will Always Love Youなど2曲を披露。エレンとスタジオの観客を圧倒させるパフォーマンスを繰り広げました。幸運はまだまだ続きます。エレンがとてつもない才能を持つフィリピン人をわざわざアメリカまで呼んで自身の番組に出演させたことは全米の人気者オプラ・ウインフリーの耳にも入り彼女も自分の番組へと招待。そこでシャリースが子供の頃からアイドルとして歌のオーディション大会などで歌っていたセリーヌ・ディオンを紹介、その年ワールドツアーを行なっていたセリーヌはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートにシャリースをデュエットパートナーとして招待し、感動的なデュエットパフォーマンスを行いました。
そのあとはセリーヌのプロデューサー デイヴィッド・フォスターの元でアメリカのメジャーレーベルから2枚のアルバムをリリースします。このアルバムはどちらも日本盤が発売され、日本でもぐっと知名度が上がりました。(ちなみにシャリースはアメリカデビュー前にフィリピンでメジャーシンガーとしてデビューしており2枚のアルバムをリリースしています)
シャリースはデイヴィッド・フォスターの元で全米ツアー・ワールドツアーにも同行、日本でもコンサートを行なっています。
その後フィリピンに帰国し2枚のアルバムをリリース、私生活では父親の殺害という衝撃的な事件や自身がレズビアンであることをカミングアウトしたりと波乱の人生を歩んでいますが、2013年と2016年にリリースされた2枚のアルバムはそんなシャリースの心の声が聴こえてくるような天真爛漫で優しく、思った道を堂々と生きる彼女の生き様そのものと言える傑作です。
シャリースとセリーヌ・ディオンのデュエット(マディソン・スクエア・ガーデン/ニューヨーク 2008年)

シャリースのフィリピン帰国後初となるアルバム「Chapter 10」とレズビアンをカミングアウトした直後にリリースした最新アルバム「Catharsis:」はMia music&Booksで好評取扱い中です!
▼こちら
シャリース(Charice Pempengco)のアルバム(5タイトル)

シャリースの後、インターネットから話題になってレコードデビューしたシンガーや、世界的な名声を誇るバンドからリードボーカルとして招かれ正式メンバーとして世界中を駆け回っているシンガーなどフィリピン人シンガーは経済途上国というハンデをインターネットによって見事に跳ね返してその才能と実力を開花させています。

■インターネットにアップされた公衆カラオケを歌っているシーンから火がついたゼンディー(Zendee Roze Tenerefe)
ビデオはフィリピンのFMに生出演した時のもの(2016年)

ゼンディーは2枚のアルバムをリリースしています。
▼こちらで
■Zendee Rose Tenerefe (ゼンディーローズテネレフェ)(2タイトル)■

■フィリピンの地方都市でナイトクラブの専属バンドシンガーとして歌っていたアーネル・ピネダ、バンドメンバーによってアップされたステージでの模様がアメリカンロックバンドの雄ジャーニーのリーダー、ニール・ショーンの目に止まりオーディションを経て正式メンバーとして加入しました。
マニラでの凱旋コンサートの模様(2009年)

これからもインターネットを介して能力のあるフィリピン人アーティストが続々と世界の陽の目を見ることでしょう。