戦前のフィリピンに住む邦人の映像
戦前のフィリピンを撮影した貴重な映像が見つかったようです!
16ミリフィルム50本で計220分!
「戦前のフィリピンにいた邦人らの暮らしぶりを写した映画フィルムが、大阪で見つかった。50本、計4時間近くに及ぶ映像は、日米関係が悪化して太平洋戦争へ至る以前の現地を記録した極めて重要な映像という。19日に東京都内で概要が紹介される。
フィルムは、マニラ市に本店があった商社「大阪貿易」(1934年1月まで旧社名「大阪バザー」)の取締役支配人だった、松井清衛氏の大阪府内の旧宅で親族が見つけた。
16ミリフィルム50本で計220分に及ぶ。撮影の時期は29~39年で、当時の店舗や社員らの姿のほか、マニラや南部のダバオ、セブなど、同社が拠点を置いた都市を中心にフィリピン各地の模様が記録されている。
クリスマスセールでにぎわう同社の小売部「大阪バザー」とともに、自動車がひしめく大通りなど、米国の植民地として都市化が進んでいた街の姿にもカメラは向けられた。
船着き場の雑踏や木材の伐採作業、製麺工場、倉庫の荷分け作業、寮でくつろぐ社員らの表情もある。野球やテニスが盛んで、洋風建築が並ぶ繁華街で夜にはネオンが明滅する様子も残る。
フィリピンは商業活動が比較的自由で、30年代には約2万人の邦人が滞在していた。また、10~30年代にはフィリピンにいた米国人が主導し、フィリピン、中華民国、日本の3カ国で、国際スポーツ競技会「極東選手権」も定期的に開かれていた。だが、日米開戦後は激戦地に。米軍の反攻で45年2月に始まったマニラ市街戦では、戦闘の巻き添えで10万人を超す住民が死亡した。松井氏も敗戦直前、旧陸軍軍属としてルソン島で戦死している。
フィリピン近現代史に詳しい早瀬晋三・早稲田大学大学院教授は「当時のフィリピン富裕層は、日本のエリート層よりも収入水準が高かった。洋風の店舗を経営し、スポーツに興じる邦人の映像記録は極めて貴重で、現地の影響を強く受けた彼らの暮らしぶりがうかがえる」と話す。
映像の一部は19日午後6時から、東京大学本郷キャンパス内のダイワハウス石橋信夫記念ホールで紹介される。定員125人。無料、当日先着順。問い合わせは記録映画保存センター(03・3222・4249)。(編集委員・永井靖二)」
引用元:朝日新聞Digital
映像の一部は10月19日に東京大学本郷キャンパス内のダイワハウス石橋信夫記念ホールで紹介されるそうです。
入場無料(人数制限あり)
ご興味おありの方は是非!